妙長山 照遠寺

もとは下津村(稲沢市)に妙長尼が草庵を建てたのが始まりです。応仁の乱の際、下津の山田幸長が帝都で戦死、子の長親は文明10年(1,478)父の菩提のため、次男の日縁上人を開山として下津に一宇を創建し法華題目堂としました。幸長の妹は出家し妙長尼と号し、大永元年(1,521)祖師像を安置しました。この尊像には文永10年(1,273)と刻銘されています。享禄4年(1,531)久遠院日珍上人が祖師堂と仏堂を建立し青遠山妙長寺と号しました。織田信雄は天正11年(1,583)に立ち寄り、父・信長に因み妙長父寺と改号し天正14年(1,586)清須に移転しました。慶長15年(1,610)清須越で名古屋市東区に移り妙長寺に復しました。承応3年(1,654)妙長寺照遠寺に改号しました。後に第七世陽雲院日政上人が祖師堂を再建しました。享保18年(1,733)第七代藩主・徳川宗春より葵の御門を許され、楼門柱、鴨居、経箱などに付けました。嘉永6年、祖師堂より出火し、本堂、祖師堂、庫裏、書院、玄関を焼失しました。安政2年、本堂、祖師堂、庫裏を再建、明治19年に鐘楼を再建、しかし明治24年の濃尾大震災で大破、後に修繕しました。祖師堂が正面にそびえ御堂照遠寺と言われましたが伊勢湾台風で倒壊しました。清須越の記録は存在しません。楼門だけが唯一、建立当時のまま存在する建物です。

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